先日、高校3年生の子どもの吹奏楽部のコンクールがあった。
この大会で全国大会に進めなければ、高校3年間の部活動は終わる。
結果は金賞。
それでも、全国大会には届かなかった。
親としては、やはり少し悔しい。
ここまで頑張ってきたのだから、もう少し先まで行かせてあげたかったという思いもある。
けれど、演奏を終えた子どもの表情を見て、その気持ちは少し変わった。
とても晴れ晴れとした顔をしていた。
悔しさよりも、
「やりきった」
という思いのほうが強く伝わってきた。
3年間続けたことは、結果以上に残る
高校生活の3年間。
吹奏楽部は、決して楽な部活ではなかったと思う。
毎日の練習。
本番前の緊張。
仲間との衝突もあったかもしれない。
思うように演奏できず、悩んだ日もあっただろう。
それでも、3年間続けた。
そして最後の大会までやりきった。
全国大会には進めなかった。
けれど、子どもの表情を見ていると、
「全国に行けたかどうか」だけで、この3年間の価値を測るのは違うな
と思った。
続けたこと。
仲間ができたこと。
一つのことに夢中になったこと。
本番という場で、自分たちの音を出し切ったこと。
その全部が、子どもの中に残っている。
親が思う以上に、子どもは前に進んでいた
親というものは、つい結果を気にしてしまう。
全国大会に行けたか。
賞を取れたか。
うまくいったか。
でも、本人はもう少し違うところを見ていたのかもしれない。
「最後までやれた」
「仲間と演奏できた」
「3年間続けた」
そういう実感が、晴れ晴れとした表情につながっていたように思う。
その顔を見ながら、
子どもは、自分が思っていた以上に成長していたんだな
と感じた。
少し誇らしくて、少し寂しい
来年になれば、大学生になる。
高校生として過ごす時間も、もうそれほど長くない。
吹奏楽部が終わったことは、単に一つの部活動が終わっただけではない。
自分にとっては、
「子どもの高校生活が終わりに向かっている」
ことを実感する出来事でもあった。
ついこの間まで小さかったような気がする。
親が手を引かなければ何もできなかった時期もあった。
それが今では、自分で仲間を作り、自分で頑張るものを見つけ、自分で一区切りをつけている。
それはとても誇らしい。
一方で、少し寂しい。
親として必要とされる時間が、少しずつ減っていく。
それが成長なのだと分かっていても、やはり複雑なものがある。
「全国に行けなかった日」ではなく、「やりきった日」
結果だけを見れば、
「全国大会に届かなかった日」
なのかもしれない。
でも、子どもの表情を思い出すと、私の中では少し違う。
この日は、
高校3年間の吹奏楽部生活を、きちんとやりきった日
だったのだと思う。
金賞という結果も立派だった。
でも、それ以上に、
最後に晴れ晴れとした顔で終われたこと。
そこに、この3年間のすべてが表れていた気がする。
子どもの成長は、親の時間の変化でもある
子どもが成長するということは、嬉しいことだ。
できることが増える。
世界が広がる。
自分の人生を歩き始める。
ただ、その分だけ、親と一緒に過ごす時間は少しずつ形を変えていく。
今回、吹奏楽部を終えた子どもを見ながら、そんなことを考えた。
これから大学へ進み、また新しい仲間ができ、新しい経験をするのだろう。
親としてできることは、だんだん少なくなっていくのかもしれない。
それでも、
「あの3年間、よく頑張ったな」
と、心から思う。
全国大会には届かなかった。
それでも、子どもの表情は晴れていた。
その顔を見られただけで、親としては十分だったのかもしれない。


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